
トラストがどうしてそういった経緯でできたかということをお話ししたいと思います。なぜその委員会ができたのか、なぜトラストができたのかということでありますけれども、問題は非常に大きなものでありました。
(S5)都市、そして都市の中心部は、高速道路が60年代からできておりました。そして、鉄道が1840年代からできておりました。そして、この土地はすべて埋め立てでありました。3,500エーカー、2,000ヘクタールぐらいの土地が一度は港湾、そしてまた工業用として使われていたのですけれども、しかしながら産業が老朽化し、陳腐化し、そしてそれがほかに移転してしまった中でこのような空き地が残っておりました。より安い、また道路体系にもアクセスしやすいところに工業が移ってしまったからです。
そして、また2つの成功をおさめた開発については既にお聞きいただきましたけれども、そのうちの1つは開発公社というオーソリティーがかかわっておりました。しかし、トロントでは我々の開発公社はうまくいきませんでした。1つの組織でこのウォーターフロントを20世紀を通じてずっと支配してきたのが、トロント・ハーバー・コミッションでありました。トロント・ハーバー・コミッションは五大湖に主要港をつくろうとしたわけですけども、セントローレンス・シーウエーが60年代に完成されたにもかかわらず、その深さが十分でなかったために、トロント港はほかの港とは違いまして海運技術を駆使することができず、そしてこの地域を他の地域のスタンダードに合わせることができなかったわけです。そこで、彼らはこの土地を支配していた。しかしながら、その土地を放棄しようとはしなかった。そして、また鉄道側もなかなか折れなかったということで、政府のそれぞれのレベルで特別な機関をつくって、このウォーターフロントを開発しようとしてきました。オンタリオプレースというのは州の所有でありました。そして、このエキシビションブレースも政府のもの、そして連邦政府はさらに開発公社、ハーバー・フロント・コーポレーションをこの地域につくったということで、トロント市におきましてはかなり開発機関が分担した形で開発をこれまで請け負ってきたというところであります。しかしながら、それは成功しなかったということです。
3つ目の問題として我々が直面しておりましたのは、申し上げましたように、かなり深刻な環境問題がこの地域には出現しておりました。そして、それらに対して解決策が打ち出されていなかったということです。大気、土壌、地下水、水質というレベルにおいての汚染であります。そして、4つのレベルでの、すなわちカナダ政府、オンタリオ州、地方自治体、そしてまたトロントの市という4つのレベルでの政府がここではかかわっていたわけですけれども、しかしながら、これは政府間で暗礁に乗り上げてしまったということで、それぞれが独自のタイムフレームを持って開発を進めており、また異なるプライオリティーを設定してやっていたという大きな問題がありました。
したがって、そこでの解決策としまして、その調査委員会が勧告したのは、先ほど私がお示ししました9つの原則でありました。そして、92年に調査委員会が開催されたわけ
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